なんとなく、7月の終わりから
「あ~、来そう・・・・」
そして8月に入ったら
「あ、やっぱり来たな・・・」
と思う。
それは、もうすぐ8月だ・・・・来るぞ・・・・
と構えているわけではないのだけど。
なんだか奥のほうがモソモソし始めて、カレンダーに目をやって
あ~、やっぱり・・・・・と腑に落ちる。
初めて自転車を買ってもらったら、
補助車なして乗ってみたいと思う
もしかしたら、乗れるかもしれないのに、
初めから補助車がついているのは、
なんだか大人になるチャンスを逃してしまうような気がする
無理を言って補助車をはずしてもらい、乗ってみる
意外にうまく乗れた気がして
ついつい、かなりの距離を走ってしまう。
ふとした拍子にバランスを崩して、派手に転倒・・・・
肘に膝、ほかにもあちこち擦りむいてヒリヒリする
痛む足を引きずりながら、なんとかスタート地点までたどり着く
やっぱり補助車が必要だとシブシブ納得してつける
補助車は嫌だなと思いながらも、乗ってみる
しばらく乗っていると、あちこちに不具合があることに気づく
どうも最初に転倒したのが原因でハンドルが微妙によがんでいたり、
スポークも折れていたり・・・・ パンクしてタイヤも付け替えたり・・・
気づいたら調整して、またしばらく乗って・・・・
補助車があると、転ばなくていいし、
いざって時に助かるし、意外にいいかも・・・・
なんて、それなりに補助車ライフが楽しくなる。
しかし、ある日、補助車があることで
逆に自由に動けないことがあると気づく。
もう、補助車 はずす時期らしい・・・・・
ところが、最初の転倒の痛手は意外に深く残っているようで
補助車をはずす決心がつかない・・・・
あんなに嫌だと思っていた補助車だが
あったら、それなりに助かるし・・・・
また転ぶのいやだしなぁ~
あったら安心だしなぁ~
なんて思っている自分がいる。
あこがれで補助車をはずすのと、
転倒の痛さ、怖さを知りながら、補助車をはずすのとは、
一見、おなじ行動のように見えて、内的スタンスは随分と違う。
でもやっぱり、補助車がついていては、
遠くに出かけることも出来ないし、
動きには限界がある。
一回り大人になって、活動範囲を広げてみたいと思うなら、
結論はもう見えている。
あとは心との折り合いをつけるだけ。
実際の補助車より、心の補助車をはずす方が勇気がいるなぁ~(笑;)
ありがとうございます。